デリラばあさんに爆殺されかけつつもなんとか浮遊草の靴を借りることに成功したルーネスたちは一路ゴールドルという男の館を目指します。おさらいするとゴールドルはどうやらクリスタルの所持者で、クリスタルを探しているルーネスたちを警戒してエンタープライズ号を鎖でがんじがらめにした男です。また、名前のとおり金目のものが大好きな欲張りで、底なし沼で侵入が困難な場所に住んで資産の盗難を回避している男です。館中が金で彩られているという典型的な成金趣味のこの男、想像するに狭量そうで性格も悪そうで、責任とか転嫁してくる感じです、きっと。
アムルの町を南下すると町の南東の方向でチョコボの森を発見しました。チョコボの森はどこにでもある!そう、私たちの心の中に!でも、見つけたからには乗りたくなるのがチョコボの魅力です。遠出しすぎたり、変なところで手綱を放さなければチョコボは危険ではないことは既に学習済みです。チョコボに乗ってゴールドルの屋敷を目指すと、三方を岩山に、南を底なし沼に囲まれた地形がみえてきました。ここに間違いありません。というわけでチョコボから下馬して浮遊草の靴を履いて底なし沼を通過しようと思ったのですが、勢いあまってチョコボのまま底なし沼に突入してしまいました。
しかし、チョコボさんは余裕で底なし沼を渡りきります。はて、通るもの全てを飲み込むレベルの底なしさを想像していたのにどうしたことでしょうか?
・チョコボさんの足の裏が驚異的な浮力を発揮して船のように渡りきった
・底なし沼がダイラタンシー流体で、チョコボさんのスピードを持ってすれば固体とみなせた
・チョコボさんは実はちょっと飛べる
いくつかチョコボさんの能力を検証する必要がありそうですが、デリラばあさんの立場がなくなるので、浮遊草の靴の効力ということにしておきましょう。多分、持っているだけでちょっと浮くとか・・・そういえばドラえもんってちょっと浮いてるらしいですよね。きっと4次元ポケットの中に浮遊草の靴が入ってるんですね。
ゴールドルの館に無事潜入を果たしますと、館内は噂どおりに金綺羅金の装飾でいっぱいでした。床も磨きこまれていて、映りこみも半端ないです。1階には4つの部屋があり、ガッチリ施錠されているという防犯意識の高さ。しかし、4人ともシーフではないもののこちらにはギサールで購入した「魔法の鍵」というアイテムがあります。完全にこそ泥気分ですが、宝箱や金目のものを探しましょう。こういうシーンはPTAから突き上げを食らう可能性が否めないような気がしますが、エンタープライズ号に鎖をまかれ器物損壊の被害を受けている側として、警察機能がまるで働かない世界観では報復もやむなしと、逆に法制度や統治機構のなんたるかを子供たちに考えさせる教材になっているとかいないとかで切り抜けていきましょう。ちなみにドラクエ4でシスターのロザリオ窃盗の冤罪で投獄されたとき、普段タンスやツボから薬草やおなべの蓋を窃盗していたと気づかされゲーム内の倫理観が少し崩壊した人は他にいませんかね?
登場するモンスターも「ゴールドイーグル」「ゴールドウォリアー」「ゴールドナイト」「ゴールドベアー」「さまよう金貨」と金尽くしで、宝箱の中身も「きんきらの剣」が大量に入っていたりと、個性の濃い冒険舞台設定ですね。このくらい潔くやってくれると、退屈な冒険にいいアクセントがつきます。漫画のワンピースで主人公たちが渡っていく島々もこれでもかっていうくらい特色をつけられてますが、次の島が楽しみになるという点で非常に成功していると思います。あと「飛竜のつめ」というアイテムもいただきました。絶滅危惧種の飛竜のつめともなれば、やはり価値が高そうです。
4つの部屋の一つに抜け道を発見し、フロアをあがっていくとそこには金のよろいをまとったゴールドルさんの姿がありました。もっと卑怯で卑屈な謀略でのしあがったような成金をイメージしていたので完全武装でガチ戦士っぽい登場に面食らいましたが、その後ろで黄色く光り輝くのは紛れもなくクリスタルですので、交渉するなりしてクリスタルの力を授からねばなりません。
「わしの名はゴールドル。クリスタルは誰にも渡さん。死ねい!」
交渉のテーブルに着くまもなく戦闘が開始されました。これは日本の刑法に照らし合わせてある程度の反撃は正当防衛として許されるでしょうか。先に不法侵入や窃盗を働いているので家人に撃退されても文句が言えないのはこちらかもしれません。でも、ここは日本ではありません。警察の介入の余地もなく、力で自分の主張をぶつける世界です。あくまでもエンタープライズ号の鎖をはずさせるのが建前で、自ら民事的に強制執行をしにきましたが、クリスタル様の使いでもあるルーネスたちが超法規的に不貞の輩の資材を押収するのもやむなしなのです。・・・実際、ゴールドルの立場にたつと努力して蓄財して、それを奪われないように防犯措置をとっただけなので、正義がどちらにあるのか悩ましいところです。