国産RPGの二大巨頭「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」。ドラクエ派の自分にFFがプレイできるのであろうか?

できるかなファイナルファンタジー

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2006年9月 アーカイブ

2006年9月11日

未だファイナルファンタジーを知らず

私は根っからのドラクエ派である。

回復呪文といえば「ホイミ」であり、「スライム」とともに成長してきたのだ。これは「ドラゴンボール」を主軸とした頃のジャンプ黄金期と少年時代が重なっていることに大きく起因している。当時のジャンプの看板である「鳥山明」先生は、私を含めたクラスメート、いや、学校中の男子の憧れの存在であったことは否定できまい。そんな鳥山明大先生がゲームのキャラクターのイラストを描いていらっしゃるというのだから、興味が湧かないわけがなかった。そのゲームの名前は「ドラゴンクエスト」と言った。

現在、国産RPGの二大タイトルといえば、その「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」のことであるが、「ファイナルファンタジー」なんて私の中では何の輝きも無い石ころに過ぎなかった。「ファイナルファンタジー」自体持っている友達がほとんどいなかったし、当時の級友O君の家で見せてもらった「ファイナルファンタジー」の画面には、ドラクエのような魅力的なキャラクターがいるようには感じられなかった。それ以前にO君の発した一言が私の中の「ファイナルファンタジー」観を既に決定付けていたのかもしれない。

「このゲーム意味わかんねー。」

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2006年9月18日

ファミコン時代を振り返る

ファイナルファンタジーが出た当時のゲーム機と言えば、もちろん任天堂の「ファミリーコンピューター」のことだ。各家庭にパソコンが当たり前に普及した現在では考えられないが、ゲームはゲームセンターのアーケード機でやるものであった時代に、家の中でゲームができるということは画期的なことだった。家のテレビにつないでゲームができるという機体はいくつかあったが、カセットを交換して様々なゲームに興じることができるようになったのはファミリーコンピューターからだろう。それ以前からゲームウォッチでも任天堂とは馴染みがあったが、ファミコンが発売されたて以降、任天堂は子供たちの間で一躍有名企業となった。2006年9月現在では、SONYのプレイステーションの台頭でコンシューマゲーム機のシェアでは一位ではないかもしれないが、当時の任天堂帝国を知る者はいまだに任天堂の復権をどこかで待ち望んでいるような気がする。そしてNintendo DSと今冬にリリースされるWiiがゲーム業界に嵐を吹き荒らす予感は多くの人が感じていることだろう。

話がそれました。任天堂の独走体制にあった当時の状況にあって、もちろんドラゴンクエストもファイナルファンタジーもファミコン用ソフトとして開発されました。ファミコンの描画スペックは256×224ドット、52色(同時発色25色)というスペックですが、当時はそこに無限の可能性が秘められていると考えられていました。今では潤沢なスペックとは言い難いですが、それゆえにアイデアを盛り込んでどこまで子供を楽しませられるか、という開発視点が得られていたようにも思います。時代が進むに連れてゲームの開発の方向が、グラフィックスやサウンドのクオリティを重視するような方向にシフトチェンジしていきました。下手をすると演出次第でつまらないゲームも面白く感じさせようということになりかねない事態であり、ゲームのプレーヤーはゲームを能動的に楽しむのではなく、楽しませてもらうというスタンスになりつつあります。そんな状況下にあって、昨今のNintendo DSのタイトルの爆発的ヒットは興味深い現象でした。派手な演出ばかりがゲームの良さではないと、ユーザの声が聞こえてくるようです。今ではNintendo DSや携帯電話用のゲームの開発が業界では盛んになっているようです。携帯電話のスペックももはや昔のファミコン以上になっているかと思いますが、限られたスペックで派手な演出が使えない状況下から面白いゲームが生まれてくるというのはハード開発者さんには皮肉な結果かも知れません。

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