国産RPGの二大巨頭「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」。ドラクエ派の自分にFFがプレイできるのであろうか?

できるかなファイナルファンタジー

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ファミコン時代を振り返る

ファイナルファンタジーが出た当時のゲーム機と言えば、もちろん任天堂の「ファミリーコンピューター」のことだ。各家庭にパソコンが当たり前に普及した現在では考えられないが、ゲームはゲームセンターのアーケード機でやるものであった時代に、家の中でゲームができるということは画期的なことだった。家のテレビにつないでゲームができるという機体はいくつかあったが、カセットを交換して様々なゲームに興じることができるようになったのはファミリーコンピューターからだろう。それ以前からゲームウォッチでも任天堂とは馴染みがあったが、ファミコンが発売されたて以降、任天堂は子供たちの間で一躍有名企業となった。2006年9月現在では、SONYのプレイステーションの台頭でコンシューマゲーム機のシェアでは一位ではないかもしれないが、当時の任天堂帝国を知る者はいまだに任天堂の復権をどこかで待ち望んでいるような気がする。そしてNintendo DSと今冬にリリースされるWiiがゲーム業界に嵐を吹き荒らす予感は多くの人が感じていることだろう。

話がそれました。任天堂の独走体制にあった当時の状況にあって、もちろんドラゴンクエストもファイナルファンタジーもファミコン用ソフトとして開発されました。ファミコンの描画スペックは256×224ドット、52色(同時発色25色)というスペックですが、当時はそこに無限の可能性が秘められていると考えられていました。今では潤沢なスペックとは言い難いですが、それゆえにアイデアを盛り込んでどこまで子供を楽しませられるか、という開発視点が得られていたようにも思います。時代が進むに連れてゲームの開発の方向が、グラフィックスやサウンドのクオリティを重視するような方向にシフトチェンジしていきました。下手をすると演出次第でつまらないゲームも面白く感じさせようということになりかねない事態であり、ゲームのプレーヤーはゲームを能動的に楽しむのではなく、楽しませてもらうというスタンスになりつつあります。そんな状況下にあって、昨今のNintendo DSのタイトルの爆発的ヒットは興味深い現象でした。派手な演出ばかりがゲームの良さではないと、ユーザの声が聞こえてくるようです。今ではNintendo DSや携帯電話用のゲームの開発が業界では盛んになっているようです。携帯電話のスペックももはや昔のファミコン以上になっているかと思いますが、限られたスペックで派手な演出が使えない状況下から面白いゲームが生まれてくるというのはハード開発者さんには皮肉な結果かも知れません。

ファミコン時代にゲームと私たち子供をつないでくれるものの一つに雑誌の特集というものがありました。今も「ファミ通」は健在ですが、「ファミリーコンピューターマガジン(略してファミマガ)」なんて雑誌が任天堂のお墨付きで発売されていたりもしました。よく裏技特集を立ち読んでは、家で試したりしたものです。裏技には禁断の魅力があったため、面白そうな裏技があるだけでファミコンのソフトとしての価値が高まりました。ただし、先述の通りファミコン専門誌を毎号買えるほど子供はお金を持っていないものでして、友達の家で読んだり、立ち読んだりというのが常套手段でした。ドラゴンクエストの特集のときだけ買ったりもしましたが、やっぱり基本は立ち読みで済ませるものなのです。なので、本屋のコンピュータ誌コーナーに行くと同級生の友達が当然のごとく先客にいました。「今週号どうだった?」「○○の裏技書いてあったよ。」なんて立ち話を交わして、その後は黙々と立ち読み耽るのでした。

そんな中ありがたかったのは、当時国民的漫画雑誌となりつつあった「週刊少年ジャンプ」の存在でした。父親が漫画読みなのでジャンプは当然購読誌でした。そんなジャンプがある日誌上でファミコンソフトのレビューを始めたのです。その名も「ファミコン神拳110番」。ずばり当時ヒット中の漫画「北斗の拳」がらみのネーミングです。この企画を立ち上げたのは、「マシリト」でお馴染みの鳥嶋和彦氏です。今やジャンプ編集長を経て、集英社の取締役にまでのし上がってしまいましたね。「ファミマガ」は買えなくても、「ジャンプ」は買えるという子供が多かったのでしょうか、このゲーム解説特集コーナーは長いこと存続することになります。

そのコーナーのレビュワーに、「ゆう帝」「みや王」「キム皇」というキャラクターがいまして、それぞれ北斗の拳のコスチュームを着て、星数評価の代わりに「あたっ」とか「あたたっ」とか北斗百裂拳のごとくファミコンソフトにレビューを付けてました。好評だったこの特集は攻略本として別冊が出るほどだったのです。それで面白いことにマシリトはこの「ゆう帝」と持ち作家の鳥山明を使ってゲームの開発を企てるのです。それがまぁ、ドラゴンクエストってことになりますね。「ゆう帝」が堀井雄二であることに、私はなかなか気付きませんでしたが、ドラゴンクエストの中に「ファミコン神拳110番」関連ネタが仕組まれているのはそういう理由だったのですね。

その後、ドラゴンクエストの爆発的ヒットを受けて、ジャンプはエニックスから優先的に開発画面の提供を受け、他のファミコン専門誌を出し抜いてさらに部数を伸ばしたのではないでしょうか。週刊少年ジャンプを中心に世界が回っていた感のある当時の小学生たちは同様にドラゴンクエストを愛でていました。半分機械のDr.マシリトの掌は非常に広かったのですね。