国産RPGの二大巨頭「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」。ドラクエ派の自分にFFがプレイできるのであろうか?

できるかなファイナルファンタジー

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命をつなぐゲーム

小林幸子FF1をプレイした後は、長い時の流れに螺旋のようにできたループ構造を断ち切った爽快さになかなか満足度が高かったのを覚えています。FF2のエンディングは、結局戦争という状況下で別れてしまったフリオニールとレオンハルトの関係に焦点がもっていかれてしまっていたので、このシナリオの特異性が少しぼやけてしまったんじゃないかと思っていました。決して大団円ではないけれども、一応の決着に何かしら考えるところはありましたけどね。やはりFF2は舞台が特殊だったと思うのですよ。人と人とが殺しあう戦争という背景を背負って、フリオニールたち若い人の目線でドラマを追いかけていくわけですが、そこであまりにも多くの人が死んでいくんですね。それこそフリオニールのミッション失敗が原因で人が死んだりもしたわけです。唖然としましたよ、それは。ドラクエでは、町を爆撃や竜巻で壊滅させるなんて直接的な殺戮はなかったですから。せいぜい、町中が眠ってしまったり、石化してしまったりですよ。そりゃ、ドムドーラとかムーンブルクみたいな場所はありましたけどね。ただ、活況を呈していた町が、次に足を運んだら廃墟・・・なんてシーンは・・・ダイアラック・・・。
まぁ、とにかく「ポフト」「パラム」「ガテア」「アルテア」と4つの町が一度に破壊された衝撃を忘れることができません。そして、FF2では反戦もさることながら、死から生へとバトンタッチされていくシーンがとても印象的だったのです。要するに今アラボトの主の皇帝と戦っている4人の死に様がなかなかカッコよかったわけです。ですから、FF2のエンディングに何か欠けていたとしたら、たくさんの死から何が芽生えたかという描写がフリオニールを通しては見えにくかったという点にあるのだと、今さらとってつけたかのような感想ですが、思った次第です。
そこで、この追加シナリオですよ。ついにミンウは、皇帝との対戦に入りまして、こいつを倒して真の平和を地上の世界に届けたいと考えているわけですね。うん、多分こいつを放っておいたら、永遠の命をちらつかせて地上の人を全員アラボト送りにしかねませんよ。で、自分の支配欲を満たしたいっていうわけですな。このアラボトの皇帝はパンデモニウムの皇帝のようにすぐには地上に撃ってでないみたいですが、そこは何か別の企みがあるのかもしれませんね。まぁ、分裂するぐらいだから、悪い方の皇帝とはあまり仲がよろしくないのでしょう。地上を支配しようとするパンデモニウム皇帝とフリオニールをぶつけて、両者が疲弊したところで漁夫の利を得る作戦かもしれません。さすが、見た目どおり、悪い皇帝よりは少し悪知恵で勝っているようです。
それにしても随分と荘厳で強大な出で立ちです、この人は。こういうのをみる度に連想せざるをえない紅白歌合戦の人がいますよね。このさっちゃんをみたら、お年よりはついつい念仏を唱えてありがたがってしまうかもしれません。極楽浄土へ連れていってくれるような変な期待感に満ちています。ただ、極楽浄土の先がアラボトでは、大した楽しみもないかなと。せめて温泉ぐらいないとねぇ。湯船につかって「あ~極楽極楽♪」っていうのが日本人の楽しみみたいなところがありますから。いや、どこかの新聞社のネット記事のように変な日本人の偏見を広めたいわけではありませんので、あしからず。

爆発系で、結局この皇帝も弱くもないけど強くもないといった感じで撃破させていただきました。ブリンクとかバーサクとか暇さえあれば唱えてましたからね。一応、アルテマもお情け程度に一、二発お見舞いしときました。必要以上に熟練度を上げてしまった感もありますね。ボス級だけが放つ最後の閃光に包まれて、アラボトの主となった皇帝の半分は姿を消していくのでした。
この皇帝というキャラクターは、人物の背景描写がほとんどなかったため、どうしてこんなに傲岸不遜な人間に育ってしまったのかわかりませんでしたが、知っている情報だけで想像するなら、生まれ持った地位と魔力に溺れてしまったんでしょうね。フリオニールに対するレオンハルト、みたいなライバルがこの皇帝にはいなかったとか、彼を止められるだけの才ある人間が周囲にいなかったとか、そういう悲劇が彼にもあったと考えておけば、なんとなく納得できてしまいます。彼の人格が歪んでしまったのは、苦労も知らずに甘えたチャンのまま大きくなってしまったことにあるんですよ。別に同情するわけではなくて、我が物顔で地上を弄んだ皇帝にも、悲惨な部分があったことを発見すると、少し溜飲が下がるんですね。心理学でいうところの・・・なんとかですよ。(よく知らないのに書こうとするな。)で、そんな阿呆を成敗したところで、心機一転、新しい暮らしに向かっていけるってもんです。「皇帝は阿呆」って唱えながら、失った人や家のことを諦めるしかないのです。

まぁ、人間の歴史ですな「おろかな・・・いつまで続けるというのか・・・血塗られた・・・戦いの・・・歴・・・史・・・」という言葉を残して、皇帝は事切れました。自分のことを善い皇帝というだけあって、彼は彼なりに目指すところがあったのかもしれませんね。人間は戦ってばかりの闘争の日々を繰り返して、無益だってわかっていてもなお、戦争してるね、馬鹿だね。って改めていわれると、皇帝のいうこともごもっともなんですが、今回の戦争に限っては、その火種を起こしたのが彼自身だったりするわけで、説得力に欠けるんですね。謝るからこれまでのことは水に流して、永遠に平和に生きていこうよ、なんてシラーッといえてしまうところがこの皇帝のすごいところで、多分血液型でいうところの・・・ってあんまり血液型に原因を求めてはいけないですね。関係ないですけど「B型 自分の説明書」っていう本が今売れているらしいじゃないですか。こんなに騒がれる前に買って読んでた自分スゲーとか調子に乗ってたら、いつの間にか「A型 自分の説明書」なんて本が出てるじゃないですか。これも読むべきなのでしょうか。

言ってくれたぜ!そして、追加シナリオで一番快哉を叫ぶことになったのが、その直後のシーンですね。「ウボァー!」という意味不明な断末魔で善い皇帝が死にました。これはもちろんパンデモニウムの主・悪い皇帝のクライマックスとかぶせてきたってことなんですが、瞬間的にピンとくるものがありましたよ。この追加シナリオを書いた人は、確信犯だなと。ラスボスを倒した直後で昂揚感に包まれているプレーヤーに、背後から刺すような笑いを用意して、変に高いテンションで笑い転げる私を物陰からみているに違いありません。あぁ、この何だか真似したくなってしまう言い回し。日常生活にも取り入れてみようと思います。納期ギリギリで制作中のシステムに修正に1時間見込まれるバグが出るたびに「ウボァー!」ていいます。セーブしないで死んだときも言おう。

一方その頃ここで舞台はパンデモニウムに転換しまして、奇しくもフリオニールたちがもう一方の皇帝を倒したところでした。これは本編と同じのをもう一度見せてくれているということですね。ということは、この後もう一度思い出し笑いをどうぞという配慮なんだと思います。

私も知りたいですこれまでも何回か考察してきましたが、結局一市民のクセに皇帝を倒すまでに至ってしまったフリオニールが何者であるのかは語られずに終わるようでした。追加シナリオでフリオニールの父親が、「実はお前は・・・」と由緒正しき血統について説明を始めることもありませんでしたね。ここは、結局、何者でもない一市民が皇帝を倒してしまったという風刺の聞いた反体制的表現ということで納得しておきましょう。別段、そんな解釈を助けるようなシーンもなかったので、強引な解釈ではありますが、「俺たち4人が力を合わせれば友情パワーで皇帝も撃破だぜぃ」という流れでもなかったと思うのです。
いっそ「な・・・煮物・・・!?」でもいいです。

緊迫感を削ぎまくりそして、世界は「ウボァー」とともに平和を迎えました。二つの身に分かれても、どこか心の奥深くではつながっている二人なのでした。三つ子の魂百まで・・・幼少期の皇帝にトラウマを与えた「ウボァー」事件も今となっては誰も知る者はいません。北斗神拳で秘孔を突かれた雑魚が「あべし」というのは「やべー」とかいいながら顔が不自然に膨らんだ結果、そういう発話になってしまったのだと聞いています。「痛てー」→「ひでぶ」もしかり。であれば、私も皇帝が残そうとした最後のメッセージを聞き取ってあげる義務があるのではないでしょうか。語末の「b」の発音は、口が広がって唇が不意に摩擦したか、あるいは内臓から湧き上がる血液が口に溜まってしまい噴出したときのものだと思います。「uboa:」→「u(b)oa:」→「uwa:n oka:chan」ということで「うわーん、お前らなんかお母ちゃんにいいつけたるさかいな。」と言いかけたところで、体が消滅してしまった・・・というのが私の推測です。

そんなわけで、次で追加シナリオ「Soul of Re-Birth」の話も最後になります。全てを終えて、フリオニールたちがフィンの城に戻ったところが舞台となります。